教育「一・五の時代」情報機械と人とのかかわり

小此木啓吾氏は「一・五の時代」と呼び、こんなことを言っている。

たとえばいままでの人と人とのかかわりを「二」という数字で表すと、現在の情報機械と人とのかかわり、コンピュータとのかかわりなどは「一+〇・五」つまり「一・五」のかかわりだと私は比喩的に表現しています。
「孤独」ということについて考えてみても、子供がひとりきりになる、あるいはひとりで自分の部屋にこもったりすると、文字通り一人きりで、昔は日記をつけたり本を読むなどしたり、自分の心の中でいろいろなイマジネーション、思考、思索、瞑想をふくらませていく一人だけの時間とか経験がありました。
それが二・〇か一・〇かという心の条件で暮らす時代でした。ところが現代の子供の場合には、父親・母親に叱られると、すぐ自分の部屋に入ってウォークマンに聞き入ってしまう、TVをつけて面白い番組を見る。最近だとコンピュータ・ゲームにふけることになります。いわば情報機械の特徴は、機会ではあっても、そこにはいろいろな人間的な情報がたくさんインプットされていて、それが一つの擬似的な人と人とのかかわりを代行してくれるという意味があります。そこで人とのかかわり以上に面白いインタラクションを経験させてくれます。そのなかに、ほんとうの人間はいないけれど、こうした情報機械と二人でいる、つまり一・五というわけです。
小此木啓吾著「現代人の心理構造」NHKブックス)

小此木氏は「一・五」の特徴として自分で自由にオンオフできるという点を上げている。これは現代では、ネットや携帯などにも共通であろう。人間と人間の付き合いでは簡単に別れたりできないが、電話やネットなら切ってしまうことは簡単だ。間に機械を入れることで人間関係のわずらわしさを自分のわがままでオンオフしてしまう現代人を見事に捕らえている。

小学生であろうと現代人であることには変わりはない。機械と同じように友達を簡単にOFFしてしまったというのが今回の事件の真相だったのかもしれない。ただただ、周りの大人たちがこの子に「一・五」の世界よりも「二」の世界という面倒くさいがすばらしい人間関係を教えてやれなかったことが悔やまれてならないのだ。
(2004/06/05 2:10:10)

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