実習オリエンテーション!

 めちゃ洗礼に合ったーー!国語は熱いぜ!!
廊下長すぎ!!グラウンドは半分だけか〜。
 教科書は、岩波かな?雨の中探すのに苦労した・・・。
*『大人になれなかった弟たちに・・・』(挿絵も本人によるもの)。
ここあたり!*国語科の部屋弟がかわいいけど、自分だって生きたいから
杉浦日向子さんの江戸生活史があって、びくっり! 昭和21・1945年8/15…弟1歳

食料の乏しかった戦時下で弟の配給ミルクを盗み飲みしてしまう僕の話である。弟は栄養失調で終戦を待たずに死んでしまう。戦争のころを思い出す「僕」は、大人になっても「弟の死」について苦しんでいる。「僕は誘惑に駆られず我慢すべきだった」という思いはいつまでも消えないのだろう。
 自分の軽い悪ふざけが原因で学校に来られなくなったり、自殺するなんて、これほど辛いことはない。そのことは、何度も何度も子供に話をし、子供の意識に刷り込ませていきたい。

戦争で犠牲になるのは兵隊だけではない。小さな子どもや年寄りや女性が、だれも守る人がいない中で死んでいく。「守る」とは敵から守るのではない。ましてや、特攻隊のように、君を守るために死にに行くなんて全然ちがう。生きることを許さない見えない敵から守るのだ。それは戦争を起こした人たち。戦争を進める人たち。でも、この時代は守ろうにも守ることができなかった。戦争はいやだと言ったら、生きたいと言ったら、悪いことだとされた時代。お腹がすいたということも言えない時代、お前達のために戦場でがんばっている兵隊さんに申し訳がない。本音は戦わないで生きてもどってきてほしいのに。
 今のようにミルクはない。だれもがお腹をすかせている。人のことなど心配していられない。栄養失調で子どもが死んでいく時代なんて絶対あってはいけない。
 戦争の悲惨さを考えていったら、必ず到達することこがある。それは、被害者としての悲惨さから加害者としての悲惨さだ。最近は加害者の怖さをその反省をなかったことにしようとしている人がいる。戦争の悲惨さを心から感じていない人だ。いつか、再び私利私欲のために戦争もよしと考えている人だ。

乳児死亡率・・各年の出生数1,000人に対して乳児(生後1年未満)死亡が何件であったか
戦時中の牛乳瓶
1948年乳製品配給状態に関する世論調査
・動物性タンパク質を含む食品が足りないと、どんなにおなか一杯食べても身長が伸びない、小麦粉よりもミルク【乳糖】は大事な栄養素
●牛乳・乳製品配給統制規則を公布(194010月10日)。優先配給飲用牛乳は即日施行し、育児用乳製品切符制(妊産婦・病人は診断書提出により優遇)11月1日より施行。1941)『牛乳営業取締規則』の改正が行われ、育児用粉ミルクは『加糖れん乳』から『調製粉乳』へ。普及し始めたのは、1950年代〜?(脱脂粉乳から糖分を減らすなどの成分調整をおこなったもの)
加糖れん乳は明治4年(1871)頃製造され、牛乳よりも保存性が高く貯蔵に便利なため、薄めて利用されていました。しかし当時の人工栄養は、衛生面や希釈をめぐる問題もあり、乳児の死亡率も高かったようです。
犯罪研究1
祖母>枕大の森永粉ミルク缶