台湾の参加型まちづくりと震災復興について

2.  台湾の参加型まちづくり「社区営造」
   ・1994年・行政院文化建設委員会〜。(政府主導)
・「社区」とはコミュニティや地域の単位を、「営」とはソフトウェアを、「造」とはハードウェアを表すらしい。
・日本やアメリカ、ヨーロッパの経験を参考にし、台湾の社会や政治に合わせて進めてきたもの。初期は専門家と行政の主導が多かった。

3. 集集大地震(1999年)

地震国・台湾
・台湾は3つのプレートがぶつかり合う点にある島で、3000m以上の山が100座以上もある。
・多くの地震は内陸の浅い場所で起き、比較的地震の生じる場所が狭い部分に限られている。また大きな地震の頻度も日本に比べて多い。

⑵集集大地震(1999年9月21日)
 ・震源:台湾中部の南投県集集鎮。マグニチュード7.6
 ・特に被害が甚大だったのは震源南投県と、南投県に隣接する台中県だが、震源から比較的離れた台北市台北県でもビルが倒壊し多くの死傷者が出た。台湾鉄路の集集駅駅舎は倒壊。台湾の成長の原動力であるハイテク産業の中心、新竹も被害を受けた。(Wikipedia

4. 協働型復興まちづくりへ


阪神・淡路大震災(1995年)を学ぶ
・住民がいかに参加するかということが問題になった。

  ⑵都市中心から農村へ
・被災地の中には様々な社会慣習や種族文化が入り込んでいるため、それぞれの生活、文化にあわせた復興方策や手法を進めていく必要があり、単なる一つの基準で進めていくことは難しく、参加型のまちづくりが必要だった。
・小さな集落が多く、個々の力が足りないため、提携化という手法をとるようにもなった。例えば産業振興が提携化されることにより、共同でHPをつくり、宣伝活動を行うところもあった。
・地域の、特に僻地でのサポート体制が必要。