坂口安吾『ラムネ氏のこと』人間の生き方を問う

毒キノコ の見分け方
「ムキタケ」と「ツキヨタケ」
暗闇では青白く発光します。
秋のブナ林でよく見ますが、日本ではもっとも中毒事故が多いことでも知られています。ときには死に至ることもあります。

①挙げられている例を整理して、視点のユニークさを学び、主題を導く。また例の配列や効果を考え、その手法を理解する。
②「物のありかたを変えてきた」のは人々のどのような力か。「勇気」について考え、その思索を現状変革の励ましにする。
―冒頭と結尾の叙述分析― 「戦時の文学者がとるべき態度?」
「段落の分け方」「要約の仕方」「接続の関係」「指示内容の見つけ方」「比喩の種類と効果」

昭和六年「風博士」を牧野信一に激賞され一躍文壇にデビュー、「Farceに就て」「文学のふるさと」で独自のファルスの文学観を明らかにした。エッセイ「日本文化私観」もわすれがたい。この時期は戦時色が深まる中、各地を流浪し、「吹雪物語」の巨大な「失敗」にいたる試行錯誤と、メルヒェン的なファルスとが平行して書かれた。
のちの「近代文学」同人平野謙埴谷雄高たちの「現代文学」に同人として寄稿したりしながら、ミステリの犯人当てごっこなどしていた。ただし安吾は、滅多に犯人を当てることができなかったそうである。
その彼が日本の戦後ミステリの代表作といえる『不連続殺人事件』を書いたのは、興味深いエピソードではある。三好達治小林秀雄と「ラムネー氏がラムネを発明したのか」などと間抜けな対話をしていたのもこのころのことである。
堕落論』の戦争下の無我の美しさをうたいしかしそれは死の美学であり,生きるためには人間は堕落せねばならぬ,堕ち切ることにより真実の救いを発見せよという訴えは,当時の若者たちにとって,戦前戦中の倫理観をいっさい否定し,戦後への主体的な生き方を教える革命的宣言として広く深い影響を与えた。
敗戦とともに、安吾の虚飾に囚われない合理主義が、虚無的な風潮によって受け入れられ、また安吾の作家的充実もあって非常な流行作家となった。

三好達治「測量船」より)
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
そして旅に出れば、知らない人ばかりを見、知らない海の音を聞くだろう。

小林秀雄
芸術的かつ逆説的で力強い叙述で知られ、小林以後の文芸批評に感覚的・飛躍的な表現を主流にした。そのため、最近では日本の文芸批評の非論理性の源流を小林に認める向きもいくらかある。元来、小説家を志しており、特に初期の文芸批評は、小説とみなされることもある。
文学的な評論に留まらず、西洋絵画等の評論、翻訳も手がけ、その内容にも定評がある。文化勲章受賞。<< 

ビー玉をラムネの瓶に入れるなんてことに人生を費やしたヤツはとんだ大馬鹿者だと笑う小林秀雄に、安吾は「それこそが文化だろうがっ!」とくってかかる。
 たとえば、毒のあるフグに挑んだ無数の男たちがいて、ある者は肝に毒があったらしいと死んで、ある者はいや、尻尾の方がおれは危ないと思うと言い残して死んでいった。そういうおびただしい屍(しかばね)の上に、フグを安全に食べる文化が築かれた。
ラムネの玉ひとつに人生を費やしてこその文化であり、人間の歴史なのだと・・・。ニュアンスとしては、確か、こんな文章だった。フグの毒にではなく、こういう見方をする坂口安吾という男に、高校二年生だったぼくは大いにしびれた。

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