ドン・キホーテの世紀 

まず最初に、騎士道とは何かと言うと、中世ヨーロッパで成立した、騎士たるものが従うべきとされた行動規範で、現実の騎士が常に騎士道にかなっていたわけではないが、騎士は騎士道に従って行動することを栄誉と考え、周囲もこれに賞賛した。騎士が身分として成立し、次第に宮廷文化の影響を受けて洗練された行動規範を持つようになり、騎士として武勲を立てることや、忠節を尽くすことは当然であるが、弱者を保護すること、信仰を守ること、貴婦人への献身などが徳目とされた。特に貴婦人への献身は多くの騎士道物語にも取り上げられ、宮廷的愛と騎士が貴婦人を崇拝し、奉仕を行うことであった。相手の貴婦人は主君の妻など既婚者の場合もあり、肉体的ではなく精神的な結びつきが重要とされた。騎士道は西欧の社交術にも影響を与えた。 
 上記のような騎士道にのっとった書物はたくさんある。例えば、「ローランの歌」や「アーサー王物語」や「ニーベルンゲンの歌」など。それらと比べると「ドン・キホーテ」は騎士道物語をパロディ化した印象を受ける。ドン・キホーテは、騎士道物語を読みすぎて気が狂い、自分も騎士となって放浪することをはじめる物語であるが、当時の騎士道物語のなかに、主人公に馬鹿げた落度ある作品など存在しないはずである。←あまり知りませんが・・・・・・。
 この作品は当時の社会を痛烈に批判し風刺する物語である。風車に突撃するドン・キホーテだが、この風車はオランダからハプスブルク家の王が取り入れたもので、王に対する反抗も意味するものであるという。羊の群れを襲うことにも意味があり、当時ラマンチャ地方は羊毛産業が重要なもので、王家の収入源として大切にされていた。羊の移動を妨げるものは作れず、イサベラ女王は一度群れが草を食べた場所の開拓を禁止するほどだった。人々は羊そのものに反感を持つようになる。ドン・キホーテはそうゆいう人達の代弁者だった。この頃騎士らしい人物の前提は、文武両道に通じており、主君に対して忠義を尽くし、品行方正にして威厳を保ち、いかなるときも自制心を失ってはならないというものである。
 また、ディエス・デ・ガメスによると「立派な騎士になるには、心深くて慎み深いこと、確かな判断力があり、温厚で道理をわきまえていること、腕っ節が強く勇敢であり、神への信仰を抱き、その栄光に希望を抱くこと」としている。このことからも、キリスト教を重んじ、文武両道を極めなくてはならない事が一層あきらかになる。
 対して、ドン・キホーテは読書三昧で騎士道として欠格者である。騎士の称号を受けていないのに、自分を騎士だと重い込んでしまったことが最大の狂気である。しかも騎士道小説の読みすぎで発狂した郷土は「遍歴の騎士」として冒険の旅に出てしまう。十五世紀のスペインでは、遍歴の騎士が実在したとされているが、セルバンテスの時代、すなわち十六世紀半ば以降では時代錯誤もはなはだしい。騎士の正式認定を受けていないドン・キホーテは、後ろめたさも捨てきれなかった。
 本来、騎士の称号は、「ちゃんとした郷土以外には、誰にも与えてはならない」というものがあったが、形式主義者のドン・キホーテは、宿屋の主人に叙任式をつかさどってもらい、同じ無資格のおじさんに頼んでやってもらったとされている。
 ドン・キホーテは狂人である。だが、この時代に遍歴の騎士が実在せず、本来の騎士道精神も希薄なっていたということは、少なくとも理屈上では崇高な精神が薄れ、世の中の諸悪と戦う有志がいなくなっていたということを意味する。だからこそ、ドン・キホーテは正真正銘の騎士になる必要がどうしてもあった。時代錯誤は同時代の不義を正すために不可避だったのである。イサベル女王が支援したコロンブスの新大陸発見によりスペインに全盛期をもたらしたが、スペイン王国そのものは決して裕福ではなっかった。一般民衆は貧しい生活を強いられていた。そんな元気がなかったスペインには、必要不可欠な存在だったのかもしれない。
 <参考文献>
・ 著書[ドン・キホーテの世紀]−スペイン黄金時代を読む− 清水憲男 (岩波書籍)
・ 資料(インターネットより)
 「スペイン幻想」・「ドン・キホーテを読む者」・「騎士道物語」