京都芸術センター・細部!22333

京都レトロMAP京都建築MAP神泉苑 元明倫小学校?京都芸術センターby 千年DESIGN/前田コーヒー油引きされた廊下/明倫舎s石門心学舎/詳しき明倫文化祭05/町内鉾明倫茶会場!
・・・京都府立大学 環境デザイン学科教授大場修 京大書庫B2「近代京都研究 : みやこから一地方都市への軌跡」「番組小学校の“夢”」写真洗うを洗う
●年代:昭和6年(1931年)/設計:京都市営繕課・・・第10回公共建築賞優秀賞
平成8年に策定された「京都市芸術文化振興計画」のなかで、芸術文化交流センター機能として計画された。

もちろん祇園祭の時はお休みなんですよ。
番組小学校というのは、明治維新後の遷都、いわゆる天皇の東幸に伴って東京へ流れてしまった文化人(芸術家や伝統技術を持った職人やそういった人達にお金を出した裕福な層)の人口流出に危機感を持った市民達が再び文化を育むためには子供達の教育が重要という理念で、明治新政府が現在の学制を定める前に、自分達でお金を出し合って建てた小学校で、その教育内容も文化・芸術面に力が入れられていたそうです。
 明治2(1869)年 京都で誕生した全国初の学区制小学校 「番組小学校」の中の1校下京第3番組小学校として創設。戦前に建てられた小学校で、最も豪華だと言われていた。
施設にはギャラリー、制作室、大和室、講堂、カフェなどがあるのですが、市民と芸術家の交流をコンセプト。
教室だったとは思えない、渋くてステキな空間になっていました。
天井から下がっている照明がかわいかった!カサが虹みたいなストライプでした。
そこで朝食を食べ、(おいしかった!私はイノダコーヒーよりこっちが好きになりました。)
お隣の「情報室」へ。
そこでは布の展覧会&展示即売会が行われており、
オーガンジーのジャケット(所々に孔雀の羽入り!)や、様々なカバンなどがありま
した。
「情報室」ということで、他美術館のチラシやいろいろなイベントチラシもあったのですが、
そのチラシやカバンが、何と下駄箱にきちんと整理されていたのでした!
下駄箱と言っても、上品な栗色に塗ってあって、ステキな棚と化していました。
そのお隣は「図書室」。
蔵所数は少なかったですが、ちゃんと貸出しができる!ビデオも閲覧できる!
そして何よりびっくりしたのが、資料整理の凄さ!
何故か横浜美術館のNEWSも、ちゃーんとファイリングしてありました。
図書と資料が同じ位の量・・・って感じでした。
図書室の奥は、またギャラリーとなっていて、
ここはまた雰囲気ががらりと変わり、部屋一面真っ白な世界。
壁は白。びっくりだったのが、床に敷き詰められた真っ白な砂利!
その部屋の中央は真っ赤な縦横2m位のオーガンジ−が正方形を形作っていました。
講堂だったと思われる部屋では、「情報室」にあった布が、反物状になって
天蓋の様に展示してありました。
隣にいた外人男性は、何やら熱心にメモをとっておられました。
その講堂は、床が全てアルミ板で覆われて、近未来的空間でした。
北側の校舎には「ワークショップルーム」「創作室」そして「ギャラリー北」とありました。
1階の天井高は意外に高め。そのせいか、階段の大きな開口部や廊下が開放感があって、気持ち良いです。小学校時代のものと思われる、古い木のロッカーなども、いい味出してます。
 >>会場は書院造の大広間。
畳が敷かれ床の間や違い棚、書院がしつらえてあるのはもちろんのこと、天井は折上格天井(おりあげごうてんじょう)という豪華なものでした。
 折上格天井というのは、もともと高貴な人の謁見の間で用いられる建築様式です。お城の御殿のようなこの大広間が応接室とかではなくて、小学校の一教室であったというから驚きです。

>>国際漫画ミュージアム22=元龍池小学校・学校歴史博物館=開智小学校と比較? 

 明治維新の後、都が京都から江戸に移るという変革期に強い危機感を持った当時の町衆が果たした役割は誠に大きなものがありました。なかには各戸が一律にお金を出し、それを基に「小学校会社」を設立し、学校の管理・運営を行ったところもあります。
 当博物館は、明治の番組小学校を中心に、京都の教育と学校の歴史を、教科書などの教具・教材や様々な歴史資料により展示するだけでなく、学校ゆかりの作家から母校に寄贈された美術工芸品等を順次、企画展示する全国に例を見ない施設です。
 京都市立学校・園所蔵の約1300点の美術工芸品をはじめ、歴史資料を合わせ8000点を超える資料を収集・保存していきます。明治2年に日本で最初に64の番組小学校

廃校リニューアル50選日本服飾史・風俗博物館〜よみがえる源氏物語の世界〜角屋もてなしの文化美術館