舞鶴は裏日本!!〜金閣寺よりWIKI

 20世紀に入ると、裏日本という語は、自然と表日本と対比した際の経済的格差を表す語として使われるようになっていた。そして、更にこの意味に拍車を乗けたのは、第二次世界大戦が終わった直後の戦後復興の過程、特に高度経済成長期に、太平洋ベルトへの重点投資が行なわれた事である。
この政策は、人口や産業の重心を太平洋ベルトに持って行く政策であり、これによって太平洋ベルト以外の地方から、太平洋ベルトへの人口や産業の流入が起こり、裏日本と呼ばれる地方は一層衰えた。

 1970年代になると、裏日本である北陸地方から、田中角栄が有力な政治家として登場し、表日本ばかりを重視した政策を改めようと、「日本列島改造論」を発表した。
これは、交通網を日本全国一様に敷設することで地域間格差が解消できるという考えであり、当時の国土開発計画に大きな影響を与えた。