日本語の歴史(金)

netに忌み語無いんよねー。■国語国字問題、明治1868年ー1912年までかな。
■国語国字問題〜国語としての日本語(標準語)の漢字を廃止または改変しようという明治以来の言語政策問題のこと。

WIKI利用者:Kzhr/VER:近代化の際に、各国が自国の言語や表記などについての標準化の過程において論争を呼び起こした問題を言う。
国力増進、教育の問題、社会変革などの理由から、それまでの言語体制では対応しきれないとして、諸国で方言の統一、字体の簡易化などが試みられた。また、各国とも短期間に変革を試みたために、反対意見などが噴出し、大論争に発展する場合もあった。
大体の文脈において、漢字使用の廃止、制限、簡略化など用字の選択に関するものが多い。しかしそのほかにも伝統的な表記である古文及び漢文から口語体への移行や、方言を廃しての標準語の制定などの争点があった。また、日本語を廃して西欧の言語を採用しようという主張もあった。

日本語の表記法として漢字を用いることの是非は、少なくとも幕末以来度々議論の対象となってきたとされる。
以下のような根拠によって、漢字の使用が批判されてきた。
漢字は数が多く、読み方、書き方共に覚えることが容易ではない。
国際的に良くつかわれる文字はローマ字であり、漢字を使用すれば世界から取り残される事になる。
タイプライタの出現
賀茂真淵 
原敬大阪毎日新聞社編集総理で「漢字減少論」連載・・・一般の新聞が口語体を用いるようになったのは,大正末頃<byウェブもりおか:原敬記念館
漢字廃止論〜〜漢字文化圏において漢字を廃止して、音標文字を採用しようという運動のことである。*明治〜明治前期は盛んに言語改革論議が行われた。

例えば、平仮名での表記を主張した前島密の「漢字御廃止之議」(慶応2(1866)・ローマ字採用を主張した南部義籌(なんぶ よしかず)の「文字ヲ改換スル議」(明治2(1869)・西周(にし あまね)の「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」(明治7(1874)年)・漢字数の制限を主張した福沢諭吉の「文字之教」(明治6(1873)などがあります。
一方,国では文部省に加藤弘之を委員長とする国語調査委員会(明治35(1902)

イ・ヨンスク『「国語」という思想』(字小>A<)ローマ字推進派・上田万年
国語国字問題講座(byカナモジカイ松坂忠則)
年表(国語政策をめぐる動き)