文化博物館⇒「子ども・子育ていきいきフェア」@めっせ


 
かつての日本銀行京都支店は
年代:明治39年(1906年) 設計:辰野金吾、長野宇平次 別館の愛称を募集している。
赤煉瓦と白い花崗岩の横縞が見事な調和を見せる、いわゆる「辰野式」の代表的建築でもある。この意匠は19世紀後半のイギリスの建築によく使われたクィーン・アン様式。銅板ぶきの屋根に大小の塔やドームが並んだデザインは斬新。

「クィーン・アン様式」は18世紀初期にイギリスで流行した室内装飾や家具の様式。 フランスのロココ様式の影響を受けている。この様式の家具は曲線美に優れ、豪華な彫刻などは少なく、機能的なものが多い。

・・・紙幣を数える練習では、札が風に舞うのを防ぐため、窓を開けたり扇風機をつけたりできず、蒸し風呂のような中で仕事を続けた。
すべてが当時のものではなく、カウンターや照明器具などは写真をもとに復元されたもの。ろうじ店舗・昔の町並みを再現している。
2階回廊を支える持ち送り・格天井。
第一勧業銀行デザイン上の価値

 三条通を歩くと明治や大正に出会う。高倉通と交差する角に赤れんが造りの京都文化博物館別館。富小路通東入ルにあるレトロな洋風建築の時計店は、明治の創業だ
三条通新町通寺町通間は京都市の「界わい景観整備地区」に指定され、旧銀行や郵便局、商家が往時の趣を残したまま点在する。界わいのランドマーク的な存在が、国の重要文化財に指定される京都文化博物館別館だ
▼一九〇六(明治三十九)年、日本銀行京都支店として建てられた。赤れんがと白い花こう岩が調和する外観が美しい。足を踏み入れると高さ十一メートルの吹き抜け空間が広がる。建築百周年記念の近代建築写真展を館内で開催中だ(七月二日まで、月曜休館)
▼江戸時代から京のメーンストリートとして栄えた三条通は、明治末期に拡幅された四条通烏丸通に人出が移り、活気を失っていった。にぎわいが戻ってきたのは、ほんの五、六年前からだ
▼復活の背景には、歩道整備や電線撤去、商業施設の誘致などを懸命に続けてきた地元町内会の「まちづくり協議会」や府建築士会などの取り組みがあった。今や京で最も元気のあるまちの一つだ
▼ノスタルジックでいながら新鮮な三条通の魅力は、近代洋風建築だけでなく、町家やビルと混然一体となった多様さにある。若者も大人も歩いて楽しめるまちが身近に存在するのはありがたい。

[京都新聞 2006年06月16日掲載]